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まんぷく咲(内田有紀)は結核で死亡?病気は治らず最後は他界という結末?当時の死亡率は?

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まんぷく咲(内田有紀)はどうなる?

2018年10月1日から始まったNHK朝ドラ「まんぷく」。

明るいテンポであらすじは進んでいましたが、10月5日(金)の放送で福子の姉・今井咲に怪しい咳が、、、。

えー、もしかしてまだ始まったばかりなのに治らないで死去するの?

早すぎるんじゃない?

朝ドラでは若くして逝くキャラが多いけど、「まんぷく」の咲は一体どうなるのでしょうか?

死んでしまうのか、それとも治るのか、咲の病気のネタバレ、そしてまんぷく時代の結核死亡率についてもご紹介したいと思います。

読みたくない人は注意してくださいね。

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まんぷく今井咲とは

福子と克子の姉。早くに亡くなった父の代わりに、貴金属店で働いて今井家を支えてきた。末の妹・福子の就職が決まり、婚約していた小野塚真一と結婚することを決めた。
非常に優しい性格で、優しさのあまり自分の幸せを後回しにし過ぎる傾向があり、周囲を心配させることも。
結婚後は真一と幸せな生活を送っていたが、身体の調子を崩してしまい、床に伏せってしまうように。

引用:https://www.nhk.or.jp/mampuku/cast/#i_saki

母・今井鈴(松坂慶子)を説得し、結婚して3年。

大手企業に務め、無口だけども優しい夫・野塚真一(大谷亮平)との幸せな生活を送っていた咲の運命はどうなるのでしょうか。

この先でご紹介したいと思います。

なお、咲がなくなった後の旦那さんについては下記リンクでご紹介です。

まんぷく小野塚真一(大谷亮平)は再婚で再登場する?咲(内田有紀)死亡後旦那はどうなるかネタバレ

まんぷく今井咲の病気ネタバレ&結末

時は戦争が始まる前の1941年(昭和16年)。

大阪東洋ホテルのフロント係に移動し、既にベテラン以上の働きをしていた福子(安藤サクラ)。

これからは満平とどういうふうに恋仲になるの?と思っているところに、福子へ咲が病気であるという知らせが入ります。

突然の知らせに戸惑う福子。

咲は「ただの風邪」だと言っているけど、それにしても変な予感が。。。

一方、福子は満平にプロポーズされ、このまま直ぐ結婚するの?というところで咲が病院に運ばれたという知らせが!

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病名は結核!

しかも血を吐いてしまうほど病は進行していたんです。

医者の診断によると、助かる可能性はない。。。

病院を転院し、徐々に回復していく咲。

この様子だと大丈夫かな?と思っていた1942年(昭和17年)、咲は危篤状態に陥ってしまうのです。

見舞いに駆けつける今井家の家族。

治療の甲斐もむなしく、家族の前で咲は息を引き取るのでした。

あまりにも早いさよならでした(TдT)

咲のモデルになったのは実在した人物で、ヒロインのモデルになった安藤仁子さんの姉・晃江(てるえ)さんでした。

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まんぷく時代設定当時の結核死亡率について

今でこそ結核で亡くなるなんて全くと行ってよいほど聞きませんが、まんぷくで今井咲(内田有紀)が失くなった1942年(昭和17年)当時の結核死亡率はものすごく高かったんです。

統計がある1900年から徐々に上昇し、終戦をピークに急激に減少。

そして現代ではほぼゼロの状態になっています。

1933年頃から結核死亡率はそれまでの傾向線を離れて上昇、1941年日米戦争(太平洋戦争)に突入すると結核死率は急上昇し、1944年には10万当り241(推 定)という日本の結核史上第2のピークを記録する(図中1944年 ~46年の数字は推定)。

この時期の「結核過剰 」の主因が重工業・戦争にあることは、1931年~49年の間20~24歳の結核死亡率は男優位に変わることも現れている。

1945年の終戦に続く数年間で戦争による結核死亡率過剰(傾向線からの突出)は消え,1948年頃までには1910年頃からの傾向に戻る。

引用:https://www.jstage.jst.go.jp

いやー、結核って昔は恐ろしい病気だったんですねー。

結核の症状は2週間以上持続する咳を伴うことが多いんだそうです。

医学の発達した現在に生まれ育って本当に良かったと思いました。

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