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西郷どん従道役の錦戸亮の鼻ヒゲがイケメンでカッコ良すぎ!隆盛との仲や関係に死後はどうなった?

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2018年6月10日のNHK大河ドラマ「西郷どん」に久々、弟の西郷従道(さいごうじゅうどう)役(西郷信吾)が帰ってくるということで話題になっているようです。

もちろん西郷従道を演じるのは錦戸亮さん。

第一話に登場した時、上野公園にある西郷隆盛像の除幕式以来の登場となりますね。

いつ見てもイケメンでかっこいい~

こんなに和服と刀をさした姿が似合う方はそうはいないんじゃ?って個人的な感想です。

そしてこの先、明治維新後には洋装で鼻髭を生やした姿がまたカッコいいのなんのって!

そんな錦戸亮さんが演じる西郷従道の名前の読み方が「じゅうどう」ってなんか変じゃないですか?

最初はなんて読み方をするのかわからなかったのですが、どうやら「じゅうどう」と「つぐみち」という2つの読み方があるようです。

でもどうしてこんな変わった名前になったのでしょうか?

そして、今回は西郷従道の名前の意味や由来に、その生涯に付いて調べてみたら、日本の歴史にものすごく影響を与えた人物だったことがわかりました。

また、最後はいったいどういう死に方をしたのでしょうか?

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錦戸亮の鼻ヒゲがイケメンすぎてカッコいい!


スーツに蝶ネクタイ、そして鼻ひげをはやした西郷従道(錦戸亮)。

もうカッコ良すぎてうっとりです❤

すでに明治維新後の活躍を撮影している画像写真のようですね。

西郷従道は1843年6月1日に西郷吉兵衛の三男として現在の鹿児島県に生をうけます。

実は兄の隆盛とは15歳もの年齢差があって、幕末ならほとんど親子といってもおかしくないような兄弟関係ですよね。

西郷従道は若い頃改名し信五と呼ばれていましたがの本名は隆興。

のちに尊皇攘夷派に加わり西郷隆盛や大久保利通とともに活動していくことになります。

薩摩藩といえば寺田屋事件(寺田屋騒動)は外せません。

坂本龍馬が暗殺されたことでも有名なこの寺田屋事件。

実は2つの騒動があったのです。

そのもう一つが薩摩藩内での揉め事だったんです。

薩摩藩には尊皇派が存在しており、当時倒幕をする医師はなかった島津久光がこれをよく思わず、薩摩藩尊王攘夷派を粛清した一大事件だったんです。

西郷従道はその粛清を受けることになってしまったのですが、まだ年少だったこともあり、帰藩謹慎処分という軽い処分で済みました。

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西郷従道/信吾の名前の意味や由来について

従道(じゅうどう)という名前は明治維新後、新政府の太政官を務めた時に改名した時の名前です。

自分の名前を登録する時に、お役人が「隆道(リュウドウ)」を「従道(ジュウドウ)」を聞き間違えて登録しちゃったんです。

しかも、従道もその間違えを気にせずそのまま使っちゃったとか。

意外と適当っていうか、今より細かいことを気にしない時代だったのか(笑)

現代だと自分自身で登録用紙に名前を記載し役所に提出するのが当たり前ですが、当時はお役人が聞き取っていたということは驚きですよね。

読み書きができないのなら聞き取るだろうけど、もちろん西郷従道はそんなことはありません。

ということは、偉い身分や役職の高い人がお役所に改名を提出するときには、事務方が聞き取っていたのかもしれません。

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時代ですね~。

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明治維新後の西郷従道

明治2年(1869年)になると西郷従道は山縣有朋らと共にヨーロッパへ軍制の調査に向かいます。

当時のロシア皇帝アレキサンドル2世とも謁見するなど、後に日本の政治家の重鎮となる西郷従道。

しかし当時、南下してくるロシアの恐怖に直面していた日本は明治6年に西郷隆盛が武力で挑戦を開国しようとする征韓論を発表。

しかし、弟の従道は隆盛のこの意見には賛同せず、明治政府側に残り“西南戦争”で兄を追い詰める側に立ってしまうことに。

薩摩藩出身の多くの侍たちは西郷隆盛についていきましたが、西郷従道は隆盛の「東京に残れ」という言葉で明治政府側に残ったと言われています。

実の兄と敵対し、切腹という結果に弟・従道はどういう気持だったのでしょうか。

立場は違えど国を愛する気持ちは同じ。

現代の日本人には到底理解することなんてできない関係だったのでしょう。

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隆盛死後の従道はどうなった

さて、西南戦争で兄の西郷隆盛の切腹後、大久保利通は暗殺され、皮肉にも西郷従道が陸軍卿に任命され重鎮として登用されることになります。

従道は今でいう出世街道まっしぐら!

伊藤博文総理大臣から初代海軍大臣に任命されるまでになりました。

その後は、朝鮮半島の一部の港を統治下にするほど南下政策をとるロシアとの戦いに備え、戦艦を作る軍資金を集めます。

また、ロシアを嫌うイギリスとの日英同盟にも賛成するなど、日清戦争の影の功労者だといっても良いでしょう。

 

兄・西郷隆盛と西郷従道の関係は?

西郷どんを観ていると、やっぱり気になるのは隆盛と従道の関係ですよね。

前述したとおり、隆盛が征韓論を唱えた時、従道に「東京に残れ」といった西郷隆盛。

刀を交えることはなかったとはいえ、兄弟で血で血を争う戦いなんて誰が望むでしょうか。

2人の関係の細かい資料は残っていないので想像となってしまいますが、政治的意見や立場を超えた2人にしか分からない心の絆があったのではないでしょうか?

もし、不仲だったとすれば、上野公園に設置された西郷隆盛の銅像の除幕式に出席するなんてことはなかったでしょう。

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